きがついたこと

まだ休日の余韻に浸っているところです。
昨日は母校の卒業制作展にいってきました。
久々に再会した友達、いつもの顔ぶれ、ほとんど変わってない風景。
そして久しぶりに見る学生作品。
パワーに圧巻。
1年前は、これが自身の事だったと考えるとちょっと戸惑い。
大作を作ったその後の1年間を過ごし終えた事になるんだけど、
結局個人的な大掛かりな作品が作れなかったなー。と。
作ったと言えば、
1:ちょっとした公募のコンペにチャレンジ(しかもお金目当て)
2:誕生日カード(不完全燃焼)
3:先々週に1週間くらいかけて作った、作品集の再編したもの
これくらい。
でも、
この3つでわかったことがあるんだな。
それは、
自分が「これ作るぞ!」と決め込んで作り始めて
心地いい形や質感や色をひきこもって己と対面し続けるだけで作るものから得られるのは、
ほんとの心地いいものではなくて、
反対に、何気ない日常で、
人と話してゲラゲラ笑ったりしてるなかで
「こんなんあったらよくない?!」
って出てくるものを形にしたものは、とても心地いいし、楽しくなる。
上の3の再編したものも、実はそうだったりで、
「ロゴつくってみようと思ってるんだけど、参考に学生のときの作品見たいな〜」の一言から始まった。
でも学生の時作った作品集は、その人に見せるには稚拙すぎる!と感じ、
その人ひとりに見せるためというのを目的とした、再編物を作る事にした。
その人に見せたいもの、あるいはその人が見たいと思っているであろうものだけを選んで、
その人が見る時にストレスを感じないようにとか、
それも踏まえつつ、私、こういう感じが好きなんだけど、あなたもこれ好きそうね、という要素も入れて。
そして、
それを作ってる最中、過去の作品を見ながら、見つけた事。
人との関わりの中で生まれたアイデアを形にする事の心地よさ。
思えば、自分の中に強く残る作品って、そういう経緯でできたものばかりだったんだ。
今思えば、一時期あったスランプ期(ちょうどこのblogを始めた前後)は、
あまり外向きじゃなかったし、限られた人としか関わってなかったな、それがいけなかったんだね。
気づいたホヤホヤの状態で、今日作品集持ってその人と一緒にお茶してきました。
その人は、自分は人と人を繋ぐ事が好きって言ってて、
今の状態の自分には、それがとても共感できて(きっとスランプ期だと、ひねくれた見方をして素直に捉えられなかったと思う)
私もそんな中でアウトプットできればなーと思った。
最初はその人自体に興味があってお食事したいなーと思ったんだけど、
今日話して、自分の欲求ってのが
その人にもっと近づきたいのか、そういう活動に近づきたいのか解んなくなっちゃったけど。
とにかく、この縁が切れないでいてくれれば、、、ってのが正直な心境。
なんかいてもたってもいられないです。