2008年6月

6月も、もう下旬に入りつつある。

思えば去年の6月は、今までの人生で最底辺であり、そこから現在まで這い上がってきたように思う。

転機はあの日、秋葉原、あの事件。
思い出す度、怖くて悲しくていたたまれなくなる。

怖いのは、
犯人の生い立ちから事件に至る経緯を聞いて、
ぎくり、と思ったこと。
人をあやめる事には全く共感しないが、
自身の想い描いた未来像と現実とのギャップに苦しみ、
頑張っても報われない空しさで自暴自棄になってしまった事に関しては、
自分にもあてはまらなくないと思ったんだ。
怖くなった。
会社とかに対して、どうにでもなれって思う事けっこうあった。
でも、そんな考えの成れの果てがこれなのでは、って思ったら、
怖くてしょうがなくなった。

すぐにでもこの気持ちを、メールでなく電話でなく、顔を見て全て話して安心したかった。
こんな事は会社で話せるような事じゃないし、
大学の友達にも話せないし、
おそらく私と同じように感じてるであろう、同郷の友達。
だけど、
なかなか思うようにいかず、会えない日々が続いた。

落ち込んで過ごしていたら、
当時の私の上司が何を勘違いしたのか、
「そんなに無愛想にして、俺の事嫌いなら会社辞めろ」
って言ってきた。
しかも2回言われたからね。



この2件が重なり、
ようやく同郷の友達に会えた頃には最悪の精神状態だった。
会っても言葉が出ないし、覇気ない。



それからは、状況を打破したくて必死になった。
というか、逃げたかった。
今を変えるために、いろんな人に会ってみたいと思った。
自ら人とふれあう機会を求めて、
いろんな考えに触れて、
そしたら自分が何を言いたくて、何をしたいかだんだん言葉と行動に出るようになって、
次第に気持ちがポジティブになってきた。



けれど結局年末までは、同郷の友達以外に事件に関しての自分の心境を話せないでいた。



それから年が明け、2月半ばに事務所移転と人事異動があり、
私に「辞めろ」と言った上司が他部門へ移動になった。
なんだかんだでお世話にはなったけど、内心ガッツポーズをした。



そして今、夏以降にできた友達との交流は深まり、
仕事も一生懸命取り組んでいる。
以前よりは人に感謝できるようになった。



前を見よう。
後ろを振り返るのは怖くて嫌だけど、6月を迎える度に思い出すんだろうな。
あれ以来、自分の母校の自慢ができなくなったのは変わらない。
少しでも誇りを取り戻せるよう、太宰でも読もうかな、
って思ったら、たまたま今年は生誕100周年らしく、あちこちで特集を組まれている。
今まさに、太宰の誕生日である6月19日になろうとしてる、後30分くらいで。
評論家曰く、大人になる前に読むべきなんだって。
大人の予習ができるから。
私はまだ途上、読むべきだ。